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フィリピン大学ディリマン校に行きました! [初めてのフィリピン旅行]

フィリピン大学ディリマン校という大学はマニラ市の隣りのケソン市にあります。
「地球の歩き方」によると、通常「マニラ」という時にはケソン市も含めた17の行政区域の集合体を意味するそうです。東京23区(時にはもっと郊外)をまとめて「東京」と呼ぶようなものでしょうね。

マニラ中心部からはけっこう距離があってタクシーで40〜50分かかります(日本円で5000円くらい・・・ホテルで頼んだタクシーなので割高かも)。やはり渋滞区間が長いのですが、それを抜けてケソン市に入ると一転。緑が豊かな郊外都市となりました。

ディリマン校は、それはそれは敷地が広く、いまざっとネットで調べただけでは面積は見つけられなかったのですが東京ドーム100個分という記述がありました。学内はマニラでおなじみのジープニーが右回りと左回りに走っているそうです。あいにく乾期まっただ中の4月は夏休み中であり、新学期は6月からということで構内を走るジープニーの姿は見えませんでした。

ちなみに4月はフィリピンでも最も暑い月だそうで、確かに日射しはきつかったのですが、陰に入るとそれほど暑くなく、ホテルのプールでも夕方5時くらいになるとプールに入っていないと寒いくらいでした。ツイッターでも時々目にするのですが、島嶼的気候でむしろ日本の関西の夏などより過ごしやすい感じです。

これまた「地球の歩き方」によればケソン市は「ともすれば殺伐とすら見えるケソン市の計画的な整然」とか「第二次世界大戦後の立て直し計画の一環で造られた人工都市のため、他エリアとはまったく違う印象を受ける。広々とした町なかには緑があふれ、整然とした雰囲気が流れている」と、誉めているのかどうかわからない記述がありましたが、私が見た(わずかな)範囲ではとても木が多くて落ち着きがあり、ファースト・インプレッションではとても気に入りました(^o^)。

両手を広げた人のような下の像はUP oblation(oblationは奉納、寄進などの意味のようです)と言って、各地にあるフィリピン大学のシンボルだそうです。
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パルマ・ホールという建物です。中にはいくつもの教室があります。
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フィリピン文学の素晴らしい授業をしてくださって、私に道を誤らせてしまった(?)L先生です。お若く見えますがフィリピン文学研究では第一人者です。
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パルマ・ホール内の教室。素朴な感じですね。国立大はいずこも同じようで、フィリピンでも有名私立大の方が施設はずっときれいだそうです。
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さて、この日は先生に、大学、ご自宅(官舎)少し、娘が楽しめそうな科学館、サン・アグスティン教会、私の教材になるような本を求めて書店へ、スーパーでの買い物、そして昼食・夕食と、もうそれはそれは申し訳ないくらい案内してもらいお世話になったのですが、その間、私的には「喋って喋って喋り倒して」しまいました(^^;)。

学問的にも人間的にも尊敬していて、世代も遠くはない(!?)憧れのL先生。フィリピンでお目にかかれたのが嬉しかったのと、先生は3月いっぱいで帰国、私は休学で、しばらくお会いできない名残惜しさから、ずーっとお話をしていました(先生、騒々しくてごめんなさい)。とはいえ、英語もピノ語も不自由な私ですから、先生が私の言葉を待っている時間が長かった・・・と娘が言っておりましたが・・・。

使った言語としては英語6割、フィリピン語4割くらいでしょうか。幸い、どちらかは思い浮かぶ場面が多かったので、コード・スイッティング(っていうのでしょうか)しながら、思いついた方の言葉で話していました。あっ、もちろん一般のフィリピン人の方とはこうはいかないはずです。2年間毎週2〜3コマ授業していただいて気心が知れていて、私の言語能力(の乏しさ)を熟知しておられ、ゆっくりと話して気長に待ってくださったからこそ、会話(らしきもの)ができたのだと思います。

いっぱい話しすぎて、かえって何を話したかわからなくなってしまいましたが(^^;)、日本での思い出、フィリピン大学ではどんな仕事をするか、お互いの家族のこと、私の勉強方針のこと、景色の説明、etc、etcというところでしょうか。印象に残っているのは、1年の最初の方で私の職業・経歴(もちろん年齢もでしょう)を知った直後は「教えにくそうだ、困った!」と思われたそうです。でも「すぐにそうではないことがわかった」と言ってくださいました。ハイ、私は基本的に妹性格で、思考は大胆・過激ですが、行動は受け身型。学生としてはそう扱いにくい方ではないと自分でも思っております(笑)。

あと、「本当は日本語も勉強して町のふつーの人(近所の人や自転車のメンテをしてくれる人)とコミュニケーションを取りたかったけれど、週に11コマの授業の準備に追われて勉強できなかったのが残念」と。私は「フィリピン語と英語がこれだけできるのですから十分ですよ」と言ったのですが、日本語や日本文化に興味がないわけではなさそうだということがわかって、ちょっと嬉しかったです。

以前の記事で娘と先生の通訳をどうしよう〜と悩んでいたのですが、結論から言うと、通訳しませんでした(>_<)。自分が先生と話すだけでいっぱいいっぱいになってしまい、途中から娘を放置状態に。後で娘からクレームがつきました。ごめんなさい〜。

娘が「楽しかった」と喜んでくれた科学館で。
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さて言語のことですが、みなさんおそらくご存知のようにフィリピンでは英語がものすごく通じます。そもそも公用語がフィリピン語と英語ですし、理系科目は小学校から英語で授業をしています。個人の英語力はどの段階まで教育を受けたかによるようですが、店、ホテル、空港、タクシー・・・全部英語でOKです。でも・・・です。どこに行ってもフィリピン人同士はフィリピン語で会話をしています。英語も堪能なL先生も、思考に使う言葉はフィリピン語だそうです。島嶼国家なのでタガログベースのフィリピン語ではない地方語が第一言語という地域も多いのですが、少なくともマニラ圏では母語はやっぱりフィリピン語だなあ〜と感じました。

英語とフィリピン語については、書き出すと長くなりますので、また別の機会にしますね。





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shira

 ん〜、なんかすごーく楽しそうな感じですね。思いの丈が全部入れられなくてもどかしがっているような感じのする文面ですから。
by shira (2014-04-17 22:04) 

mai

>Ladybirdさん、niceどうもありがとうございます!

>shiraさん、nice&コメントどうもありがとうございます!コメントをいただいてから本文を読み返してみると、あまりにも乙女のような文章に自分で赤面しています(^^;)。日本では先生対一学生だったので(まあ、今もそうですが)、個人的に長くお話ししたことがなく、今回はとても楽しかったです☆母語で話すように、気持ちの機微まで伝えられたらいいなあ〜という実感は持ちました。さすがに「しのぶれど・・・」の世界ではないですよ〜〜(^o^)
by mai (2014-04-18 17:23) 

Yasuaki JinchunAnming Komparu

『揚子江の少年』を私も読みました。小学生か中学生の頃に読みました。『揚子江の傅(フー)少年』とも言うようで、長江(揚子江)の本流と嘉陵江が合流する都市、つまり、重慶=Chung-king=Zhongqingです。傅=Fu少年が文字を学習しようと思って、見よう見真似で「扉」という字を練習していたら、学者から「筆画や書き順がデタラメだ」と言われ、「正しく教えてくれた漢字」が、実用的でない儒教的な観念的な漢字だった事に、当時の私は違和感を感じた記憶が有ります。また、内陸都市重慶の傅少年は海を知らず、「海が大きいって、どの程度の大きさなのだろう?でも揚子江ほど大きくは有るまい。せいぜい嘉陵江の程度だろう。だって、揚子江は世界一の長江なのだから」というセリフを記憶して居ます。重慶は第二次対戦中は、国民党と共産党の
合意が成り立ち、重慶に共産党の連絡事務所が置かれ、周恩来が重慶に駐在し、、当然、日本軍の大空襲の目標と成りました。その頃、ナチスドイツから逃れたブレヒトが「セツアンの善人(セチュアンの善人)」という戯曲を書いた理由は、まさに「四川」の四川風発音をドイツ風の綴りで書き表した物をカタカナにした物で、セツアンは架空の都市では無く「国共合作の抗日統一戦線」の拠点でした。ブレヒト劇「セツアンの善人」に出て来る「北京」は、日本軍の占領下だった事、それに加えて、昔、『揚子江の傅少年』という小説が存在した事も、ブレヒト劇の舞台にセツアン=重慶(現在の重慶は四川省から独立して直轄市に成っていますが、昔は重慶は四川省の一部だったと思っています)が選ばれた理由の一つと言えるかも知れません。フェイスブックのハンドルネーム Yasuaki JinchunAnming Komparu 拝
by Yasuaki JinchunAnming Komparu (2014-05-07 00:39) 

mai

Yasuaki JinchunAnming Komparuさん
コメントどうもありがとうございます!私は登場人物も話の筋もすっかり忘れてしまっていましたので、詳しく教えていただいて、とても嬉しいです☆主人公が海を想像するシーンはなんとなく思い出しました。重慶とブレヒトが関連があるのですね。初めて知りました!興味深いです。ありがとうございました!
by mai (2014-05-08 13:16) 

ayu15

5000円?!物価がわからないのですが日本でもタクシー代5000円なんて高すぎてよほどでないと乗れませんねえ。
by ayu15 (2014-05-20 13:42) 

mai

ayu15さん、nice&コメントどうもありがとうございます。日本円にして5000円くらいなのでやはり高いです!日本では普通、乗りませんね〜。土地勘が全くないのと、旅人ゆえの気の大きさのなせるわざでしょうね。
by mai (2014-05-21 20:36) 

mai

Ladybirdさん、ネオ・アッキーさん、niceどうもありがとうございます。お返事が遅くなって失礼しました。
by mai (2014-11-01 09:22) 

mai

daigakuseiさん、niceどうもありがとうございます!あれ?同窓生ですね。そのうち大学内ですれ違ったりして・・・。アラフィフなのですぐわかると思います。声かけてやってください。
by mai (2015-03-09 13:12) 

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